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節分会


新型コロナ オミクロン株の急拡大による感染予防の観点より、本年は節分会での「福豆撒き」を取り止めとしました。
ただし、2月6日(日曜日)の節分会での、年男・年女、開運厄除・除災招福のお申込みをされた方の御祈願は、山内僧侶総出仕にて予定通りに厳修します。御祈願をお申込みの方は、御本堂受付にてお申込み下さい。また、遠方で来られないという方は、電話・メール、又はホームページよりお申込みいただく事もできます。詳しくは、どうぞお尋ね下さい。

さて、日本の旧暦では立春に近い新月の日が一月一日とされており、その前日が節分になります。文字通りその日を境に季節を分けるという意味です。節分とは元々各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、「季節を分ける」ことも意味しています、江戸時代頃より、現在のように節分というと2月3日を指すようになりました。(当山では、ご参詣の皆様がお参りしやすいように、2月の第一日曜日に行います。)
古来より、節分の日には邪気を払い新春を迎えるという行事が、宮中・寺社仏閣をはじめ日本各地で、伝統的に行われてきました。

 私達は節分といえば、「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を撒く事を連想します。「豆」をはじめとする穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっているといわれ、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じるともいわれています。豆を撒いて、「魔の目を射る」ということでしょう。
 
ところで、仏教には、「十界互具」という教えがあります。十界とは、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界です。この事は、「十界それぞれの世界にもまたそれぞれ十の世界がある」、「人の心の中にこの十界がある」といわれています。

鬼といえば、地獄の閻魔様の獄卒(地獄の亡者を責める)のイメージが強くありますが、地獄だけに鬼がいるわけではありません。各地の民話などには、良い鬼の話も多く残されており、鬼を神として祀る神社もあります。

「心(こころ)コロコロ」とはよく言ったもので、人の心というのは、その時の状況・環境により、または体調等によっても「コロコロ」と動きます。その心を地獄界に近いほうに置くか、仏界に近い方に置くかは、その人次第ではないでしょうか。
真言宗の開祖である弘法大師は、「十界の有る所、これ我が心なり」と説かれました。
節分を前、今自分の心がどの世界にあるかを観察てみるのもいいかもしれません。
成田山では豆を撒く時には、「福は内」としか唱えません。それは何故かといいますと、御本尊不動明王の前では「鬼も改心する」からです。
節分に追払う鬼。ことによったら私達の心の中にも邪鬼が住んでいるかもしれません。お不動様のお力をお借りして、邪鬼を追い払い、すがすがしい心で、やがて来る「春」を迎えたいものです。

合掌

 

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