お知らせ

お知らせ

News

お知らせ

春のお彼岸


令和4年の春のお彼岸は、3月18日が彼岸入り、21日が中日、24日が彼岸明けになります。
お彼岸は春と秋に7日間ずつありますが、その中日は春分の日・秋分の日といって、太陽が真東から昇り真西へと沈むといわれます。太陽が真西に沈むのに因んで、阿弥陀如来様の西方浄土に向かって手を合わせてきました。古来より、春分の日・秋分の日は、この世(此岸)とあの世(彼岸)がもっとも通じやすい日と考えられ、死者を偲ぶ日、来世を偲ぶ日としても捉えられるようになりました。


彼岸とは

お彼岸とは字の如く「向う岸」、「かの岸に到る」という意味で、サンスクリット語では「パーラミター」といいます。
このパーラミターを音写して「波羅蜜多」となりました。これは物事が「成し遂げられた世界」とか「苦悩や迷いのない澄みきった境地」という意味になります。
彼岸の対をなすのが、「此岸(しがん)」です。此岸とは「生・老・病・死」の四苦、愛別離苦(あいべつりく。愛する者と別離すること)、怨憎会苦(おんぞうえく。怨み憎んでいる者に会ってしまう苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく。求める物が思うように得られない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく。人間の肉体と精神が思うようにならない苦しみ)で四苦八苦して悩み迷う世界です。
彼岸は遥か遠くにあり、此岸は私達にとってそれが当たり前のように思っていますが、「これでいいのだろうか」とふと考えることがありませんか。

この迷い・悩み・苦しみの世界から解放され、理想の世界を仏様に求めたところから、彼岸会という行事が始まりました。平安朝の頃、宮中で盛んになり、江戸時代になってから庶民の間で広く行われるようになり、今日まで続いています。

では、此岸(悩み・苦しみ・煩悩の世界)と彼岸(悟り・涅槃)は、全く違う世界、異なる世界なのでしょうか。「彼岸」の語源にもあるように、悟りの世界への至る為の修行を経ていくことによって、「此岸」の中でも「彼岸」を見出していく事ができるのではないでしょうか。


彼岸へ到る為の六波羅蜜

仏教では、悟りの世界へ到る為の方法の一つとして、「六波羅蜜」を説いています。六波羅蜜は、日常の中でも行うことが出来る、6つの行いになります。

布施…見返りのない心での施し。思いやりのある暖かい心で人のため、社会のために尽くすこと。
持戒…私たちが生活する以上、どんな場合でもルールがあります。定められたルールを正しく守り自分を磨いていくこと。
忍辱…苦難の伴わぬ社会はありません。すべての苦難に耐え抜き、乗り越えていくこと。
精進…成さねばならぬ事は、精一杯の力で努力をすること。
禅定…落ち着いた静かな心で行動すること。日々、自心を見つめ直すこと。
智慧…深い洞察力。常に正しい判断力を養う。
6つといいましても、それぞれ異なる行いではなく、一つの行いをするためには、その他5つの行いがその中に含まれる事で、成す事ができるのではないでしょうか。

例えば、全ての行いに日々怠らないで務め、毎日コツコツと努力するには「精進」を続けるためには、戒めを自分の中に保つ「持戒」という徳目が必要になります。「継続は力なり、精進は一生涯」です。一つの事を続けるには、「忍辱」という徳目が大事になります。その行いが出てくる元には、「禅定」と「智慧」により生じた正しいものでなければ独りよがりのものになってしまいます。正しいものとは、自分の為だけではなく世の為人の為に繋がり広がっていくもの「布施」になります。

以上の六つの実践は人が人らしく生きていく上で、大切な心構えです。お彼岸の期間には、ご先祖様・故人様のご供養で、お寺にお経をあげてもらったり、ご自身でお唱えされたりする方もおられるかと思います。「お経・経典」はお唱えするものでもありますが、できる限り生活の中にその教えを生かしたいものです。
その先に、此岸が彼岸に近づいていく事ができるのではないでしょうか。

合掌

> 一覧に戻る

通販サイト

PageTop