これはわが子これはわが財宝と考えて愚かな者は苦しむ。
おのれさえ、おのれのものでもないのに、
どうして子と財宝とがおのれのものであろうか
-法句経-
こどもたちの人格を重んじ、幸福をはかるとともに、お母さんにも感謝する日として5月5日にこどもの日、14日には母の日が制定されています。
上記は、仏教の開祖ブッダが説いた「何事も執着すると苦しみが生じる」という事に関しての教えです。
「わが子」というのは自分の分身といってもいい存在であると思います。
また、財産というものは自らが努力して稼いだもので、自分に所有権があります。
しかしだからといって、子供も財産も、必ずしも自分の自由になるというものでもありません。
子供さんは親御さんの期待に反し、言う事を聞かなかったり、時には家出をしたり、また病気になって亡くなったり等、色々な事があると思います。
子供といっても一人の人間であり、一個の「人格」ですから、なかなか自分の思い通りにはならないものです。
また財産にしても、様々な理由から減少したり、無くなってしまう事があると思います。時には破産してしまったり、家屋が流されてしまうというような事もあるでしょう。
本当に自分のものなら、自分の思うように出来るはずです。
ところがよく考えてみたら、自分自身にしても、自分の思うようにはならないものです。
自分に好ましいことはいつまでも続くようにと願う事はありますが、その願いはしばしば裏切られてしまいます。
日々過ごしていると、まさかというような事態が生じる時もあるでしょう。
そのような人生のありようを、仏教では「無常の現実にぶつかっている」と受け止めます。
ブッダは「何物も自分のものではないと知るのが智慧であり、苦しみから離れる道である」と教えています。
物も、心も、自分を取り巻く環境も、「これが自分のものだ」と言えるものなど何もない、と説いているのです。
この世の全ては無常で、つねに変化の過程にあるものです。
「無常の現実」に振り回されず、日々の様々な変化を受け入れながら過ごす事が、人生をよりよく過ごす為にいい事なのかもしれません。
合掌